風の吹くままに

モラルハラスメントで離婚~再出発の記録

私が変わればよかったのかな?

子どもを幼稚園に送った帰りなんかに、歩いていてふと思う。

「あの人を、モラハラできないようにできなかったのかな。」って。

 

つまり、私の有り様で、元夫のいい面だけを引き出すというようなことはできなかったのかな、と。

 

私の接し方、表情、話し方なんかを変えていたら違っていたのかな。。。

 

…と、ここまで考えて思い出す。

「そんなこと何度も考えて、『私が変われば』って、いろいろやったんじゃん。心理学の本も読んでやってみたし、自己啓発の本も買って、『習慣を変える』とかってやってみた。最後は、コーチングまで受けたもんね。私が寛容であろう、理解者になろうって努力したことが、振り返ればよくなかったよね。」

 

自分に話しかけるように、これまでのことを確かめる。

そうじゃないと、「私が悪かったから」の罠にはまってしまうから。

 

モラハラ被害者の人は、頑張ってるよ。

相手の母親さえもできなかったような忍耐強さで、受け入れようとしてる。

(ま、実際、子供の頃に受け入れられてなかったから、モラハラ夫になったんだろうけども。)

 

でもね、どうすることもできないことってあるよ。

よく、「人は変えられない」なんて言うけどね。

被害者の人は、なんだか「助けてあげたい」「私がなんとかしてあげたい」って、思ってしまうんだよね。

これも、後からわかったことなんだけど、被害者の人にはその人なりの、子供時代のやり残しがあって。それが、そういう思いを抱かせるんだね。なんかね、どーしよーもない人を、放っておけないんだ。見ていて、ハラハラしてしまう。道路にケガした鳩がいるのを見つけたみたいな。早く駆けつけて、違う場所へ移さなきゃ!って。ちょっと、我を忘れてしまうみたいなところがあるよね。

 

相手のためにと思って読んだ心理学の本が、結局は自分のためになった。

「私が、モラハラ被害者になってしまったのには、理由があったんだ!」という発見があったから。

 

気づけたから。

 

この気づきって、人生の分かれ目だったと思う。

あれ、あれって、変だなって思いながら「いい人」道を追求(離婚しないで添い遂げる)するのか、それとも、「いい人」であることよりも、「自分そのもの」で生きるんだ!そうだそうだ、そのはずだった…と思い出してやり直すのか。

子どもがいても、無職でも。

自分の人生を生きる!

そうじゃなきゃ始まらない。

 

私がモラハラ被害者になってしまったのは…、

あまりにも「自己肯定感」が低かったから。

「自分、大好き!!」の気持ちがなかったから…。

そしてさらに、そのことに気付いてさえいなかったから…。

いい学校を出ていても。

美人だねと褒められることが多くても。

例えば、しゃべるのが苦手だった…。

「誰も、私の話なんて聞きたいと思わないはず」って思ってたから!

 

そして、そんな人を支配しようと思ったら、簡単。。。